4歳で両親が離婚し、母方に預けられるも再婚したシャルキュトリ(豚肉専門の肉屋)の義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生れた娘(エディット)だけを可愛がった為にアランは除け者とされ、更に追い討ちをかけるが如く実父も再婚し息子(ジャン=フランソワ、後にアランの映画の製作に参加)が生れていた、それら家庭不和に因る愛情不足が所以で女生徒と度々問題を起こし寄宿学校を転々とし、最終的には手に負えない問題児として感化院に入れられ一時的に鉄格子生活をも経験する羽目となった。

その後14歳より義父の肉屋で働き始めたが自分の居場所を求めていたアランは苦渋の策としてフランス外人部隊へ志願、未成年者は保護者の承諾が必要だったが母は義父の云うがままに従い承諾した、この一件で自分に対する愛情の無さに母への憎しみが根深く残る事となり、次第に女性不信という形で表れていった。こうして17歳で入隊し、マルセイユより貨物船に乗せられ、カービン銃の扱いだけを教わって落下傘部隊へ配属され第一次インドシナ戦争へ従軍する事となった。

1955年休戦条約によって20歳で無事除隊後はアメリカとメキシコを放浪、1956年に帰国後はパリのモンマルトルなど方々を転々としサンジェルマン・デ・プレに落ち着いた。

翌1957年の夏、女優のブリジット・オーベールから『カンヌで映画祭が開催されるから、ぶらぶらしてみたら?あなた程の美貌なら監督の誰かから声が掛かるかもしれないわよ?』と言われたことがきっかけで、帰国後パリで知り合ったジャン=クロード・ブリアリと2人(暑かったので上半身裸で)カンヌを歩いてみると、ハリウッドの一流エージェントのヘンリー・ウィルスン(過去にロック・ハドソンを発掘)に『君はいい身体をしている…』とスカウトされ、三日後にローマのチネチッタ撮影所にて映画『武器よさらば』撮影中のデヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテストを受け合格し、アメリカでの成功に太鼓判を押され7年間の契約を持ち掛けられるが(但し英語の習得を促される)『私はフランス人なので、まずはフランスで勝負をしたい!』と保留、女優エステラ・ブランの紹介でイヴ・アレグレ監督の『女が事件にからむ時』(共演ジャン・ポール・ベルモンド)でデビューする運びとなる。

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